過保護本丸運営

刀剣乱舞初めて3ヶ月の初心者審神者のプレイ感想、日記。過保護すぎて刀剣男子達にウザがられそうな本丸。

本丸刀剣調査~岩融~


こんにちは、甘酒です。


現在期間中の江戸城イベですが
レベリングもかねてレベル60の岩融を入れた所
めっちゃバッサバッサ倒してく。
ほぼ一撃。
レベリングが捗りすぎてやばい。


刀剣乱舞での岩融は
全体的に見ると弱めな部類に含まれるが
育成や連結を行うことでそのマイナス面を補うことが可能な上に
攻撃範囲が横という全体攻撃が可能な刀剣でもあるので
岩融を中心としたレベリング部隊を作成すると


通称「岩融幼稚園」が完成し


敵を一撃でなぎ払ってくれるので大変重宝される。
今私がイベントで作った部隊がまさにそれ。
太刀、大太刀を引率する岩融幼稚園。
(随分でかい幼稚園児だな。)


現状、うちの岩融はまだ7面向きではないかもしれませんが
イベント向きだと言われる理由がよく分かります。
うちの子達の成長が素晴らしすぎてノンストップ感動。


と、いうわけで今回は
江戸城イベで大活躍中の「岩融」について
色々と書いていきたいと思います。


書いていく上で大前提としておきたいのが
実は岩融は実在したのかが謎の刀剣です。


「岩融を使ったとされる武蔵坊弁慶が実在しなかった」


といわれており、実在した証拠も、実在しなかった証拠も存在しない
まさに伝説のような逸話やお話です。
その為、あくまでこれは一説である、と認識した上で
お読みいただきますようお願い致します。


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岩融は刃だけでも約1メートルあったとされる大薙刀です。
打ったとされているのは「刀工 三条小鍛治宗近」
弁慶と同じく有名な源義経が使っていたとされる「今剣」も
同じく三条宗近の作と言われています。


三条宗近は平安時代に栄えた刀工集団である
「三条派」の始祖であり、天慶元年(938)に
山城国(京都府南部)で公家(朝廷に仕える貴族)に生まれます。


打った刀につけられる銘は


「銘 三条」
「銘 宗近」
「銘 宗近造」


その他と複数あり、その中でも有名なのは
国宝であり、天下五剣のひとつでもある
「三日月宗近」ですね。
最近やっと来てくれました、給料分は仕事してもらうぞ宗近ァ!


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そして、現在刀剣乱舞に実装されている
「三条」の多くは現存しておらず
ほとんどが伝説として語られて残っている刀剣であり
その中のひとつが「岩融」です。


岩融と使ったと言われている武蔵坊弁慶
「義経紀」をはじめとした創作を基にした人物で
義経の朗党(武家社会における主家の従者)と記されています。



弁慶は母の胎内に18ヶ月もの期間篭り続け
生まれたときには
3歳児の体、髪も伸び、歯も生え揃っていたそうです。


弁慶の父は「鬼子だ」と思い殺そうとしますが
その後「鬼若」という名で京の叔母に引き取られました。


鬼若は比叡山にある延暦寺に入れられますが
乱暴や問題ばかりで追い出されてしまいます。
パリピかな。


追い出された鬼若は自ら長い髪の毛を散発し
名を「武蔵坊弁慶」と名乗り播磨国(兵庫県下部)へ移動しますが
そこでも問題を起こしまくり挙句の果てには
圓教寺の堂塔を炎上させます。
なにしてんねん弁慶ィ!


「京で千本の太刀を奪う」


という悲願を立てた弁慶は京で道行く人を遅い
帯刀している者と決闘した後に
その刀を奪いそして999本までの回収を成し遂げます。
残り後一本、悲願達成まであと一本。
そんな時、五条大橋にて笛を吹きながら通りすがったのが
源義経でした。


弁慶は義経の帯刀していた太刀に目を止め
奪うべく襲い掛かりますが
義経は弁慶を返り討ちにします。
ここで有名な言葉といえば「弁慶の泣き所」ですね。
いくら鍛えても、脛は痛い。


敗北した弁慶は降参し、義経の家来となりました。



義経に仕えた弁慶は、その後大きく活躍することとなります。


頼朝との戦いが終わった後
山伏(山中で修行する業者)に扮して
京を脱し、奥州へと北上しますが
越中国(富山県)の河口を横断するために
運行されていた渡船である「如意の渡し」
見咎め(見て不振に思うこと)を受けることとなりますが、
弁慶は


「諸国勧進(勧誘の意)を行うものだ」


と言い、勧進の為の書を読み上げろと言われると
弁慶はたまたま持っていた巻物を
それが勧進の書であるかのように読み上げ
一行の危機を救います。


さらに小柄だった義経を


「お前が義経に似ているばかりに疑われてしまった」


と言いながら杖で何度も疑いを晴らします。
そこまでの頭のキレがありながら
なぜ圓教寺の堂塔を炎上させたんだ弁慶…。


なんとか奥州にたどり着く一行でしたが
すでに義経公の討伐の命が届いており
義経一行はほどなくして囲まれる事となります。


弁慶は薙刀(岩融)を奮って応戦しますが大量の雨のような弓矢を体に受け
最期には立ったまま絶命します。


これが「弁慶の立往生」です。


その後、義経公はそこを脱することになりますが
正妻と娘を殺害した後、自害してしまいます。


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岩融はあくまで弁慶の所有した薙刀として語られているものなので
物語の中にはほとんどその姿は登場しません。
これは今剣も同様です。


ですが、刀剣乱舞に実装された岩融は
弁慶の豪快さや、いざという時に頭が切れる面を
しっかりと受け継いだ刀だということが分かりますね。


もし弁慶や義経の話が気になるよーという方は
今回とてもざっくりとした説明になってしまっているので
一度読んでみるとまた違った解釈や見方が出来るのではないかと思います。


というわけで今回は岩融でした!
次回は誰にしようかな

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